

大分市の県庁横の「遊歩公園」に滝(瀧)廉太郎氏の終焉の地の史蹟がある。1903(明治35)年11月24日東京を出立。大分に帰着後、大分町339番地(現在の大手町か?)の父母の元で療養する。そして、12月29日、「荒磯の波」を作曲。「聖公会」のブリベ司祭を時折訪ね、信仰上の交わりを結んだと考えられる。
11歳年下の滝廉太郎氏の妹・安部とみさんが、後年、「兄を偲ぶ」というエッセイでブリベ氏とのことを次のように書いている。[北村清志編著、『滝廉太郎を偲ぶ』(1963年より)]
「・・・あの頃のことは、はかない夢のようで、晩春の頃だったかと思うが、現在の大分市金池校で、先生方や父兄の方々に望まれて、自分の作曲その他をおきかせした事もあった。そんな時は必ず人力車の往復であった。当時の碩田橋、今の中央通り郵便局の南側に、三倉屋という材木問屋があり、その横を入るとブリベさんという米国(英国の間違いか?)の宣教師が居られた。クリスチャンの兄は時々伺って御話をきいたり、御馳走になったりして居た。ピアノがあったか覚えて居ないが、或いは此処だけで弾けるピアノであったかも知れない。時々コックさんがお料理や、お菓子を持って来て下さるので、母はせめてそれに似た物でも作って見ようと、兄の食事に気を配って居った。此のブリベさんのお宅にお年賀に出かけた時の姿は何年たっても忘れられぬおもかげである。
真黒い髪を一寸分けて、黒紋付の羽織に仙台平のハカマをつけて、ニコニコしながら車上の人になった兄の美しさ。色の黒い私は、思わず、兄さんのように色が白かったらと、つくづくうらやましく思った。」
亡くなる半年前の滝廉太郎氏の様子がリアルに迫ってくる。ブリベ師との深い心の交流が想像できる。ところで、妹さんの安部とみさんは、去年亡くなられた、ジャーナリストの筑紫哲也氏の祖母にあたるそうだ。












by tumonalbert
別府市内成棚田